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コン山のブログ

アフリカでちょこちょこしている元広告営業です。IT、広告、営業、メディア、人生について書こうと思います。

日本初のセネガル旅行ガイドブックを作り10万人の貧困削減に繋げるためのクラウドファンディングをはじめました。

クラウドファンディングに挑戦中

西アフリカのセネガル共和国の治安や世界遺産などの観光地も紹介していますので、よかったら見てみてください。

11月29日締切です。

readyfor.jp

【チビアフ第5話】追い詰められて樹海で野宿—大卒後無職に

チビアフ

 

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北海道の足湯にて。ウクレレで懐メロを弾いて皆で歌いました。おじさんおばさんが缶詰を沢山くれました。

 

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某島にて撮影(男性は知っているかも?)。ここで「あえて三大欲求を絶つ」事を理念にした合宿でした。

 

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(たぶん)四万十川?小さく写った自転車でサイクリングしてました。

 

 

野宿同好会で、

 

「人生ってこんなに自由に生きていいんだ!」

 

と学んだ私。そんな学生生活を過ごす中で、いつしか将来は起業をしようと思うようになりました。

ですが、社会の事を何も知らないままで学生時代に起業するのではなく、日本社会の多数を占めるサラリーマンを経験した上で起業したいと思い、就職活動を行う事を決めました。9月15日、リーマン・ブラザーズが破たんした少し後に、合同説明会がはじまりました。

 

私の父は営業マン。証券会社から始まり、外資系企業を営業一筋で転々とし、バリバリと働いていました。とある会社では、営業成績がアジアTOP3となり、社費で数週間海外旅行に行ったりしていました。そんな父の背中を見て育った私は、「営業」という仕事に憧れを抱いていました。

また当時「コンサル」「成長」という言葉を盲信していました。

あまりに無知な学生でもありました。

そしてなんと言っても就職活動の雰囲気がとても嫌で一刻も早くやめたいと思い、「コンサルティング営業」「人材コンサル」という言葉を見て、3年生の冬頃、一番最初に内定をいただいた某人材ベンチャー企業に入社する事にしました。4年生は、野宿同好会の第二十二代会長として会の存続と後輩の育成に努めました(単に酒飲んでバカやって野宿していただけですが)。

 

そして、ついに卒業。

社会人生活がスタートしました。

 

 

 

 

 

「自分は会社に対していくら借金があるか?」

 

入社した企業では、売上から給与や保険代、その他諸経費(採用など?)を引いた額が記された紙が、机の前に張り出されました。(たしか「マイナス数百万」と記されていた気がします。)

始業は9時でしたが、朝7時から強制参加の勉強会やテストなどが頻繁に行われました。

新人は営業部。朝8時前から夜8時まで1日300件以上、社長のアポを取るテレアポをしていました。週次、週の半分、そして1日当たりのアポの目標などが細かく定められていました。その目標が達成できない場合、翌週の朝の会議にて社員全員の前で立たされ、叱責され、反省の弁を述べる必要がありました。その他にも、なにかミスをしたら反省文1万文字の提出が待っていました。

毎朝5時台の電車で通い、帰宅は24時頃。さらに土日も電話で呼び出されていました。万一休みでも、必ず自宅でなにかしらの作業をする必要がありました。

 

そんな中迎えたゴールデンウィーク。なんと休みが数日取れそうでした。

 

「電波の届くところにいると、いつ呼び出されるか分からない。」

 

そう恐怖を感じた私は、樹海で野宿をして現実逃避をしていました。樹海から出るのが怖かった事を覚えています。

 

(まあ普通に考えれば「いやいや樹海とか行かないで電源切れよ常考」という話なのですが、この時はとにかく精神的に参っていて、物理的にも逃げたかったんだと思います。熱が出たと言っても「本当か?体温計を見せろ」くらいの勢いの会社だったので、「●●で行けません」と言っても「証拠を見せろ」言われかねないので、本当にそういうところに行かなければ的な気持ちもありました。また、電波が届くところだと仕事が気になって、なんだかんだ電源を入れてしまう気がしたので、いくら気になろうが何しようが無理な所に逃避しました。)

 

 

クタクタになっている私を見て、両親は私の事をとても心配してくれていました。

「会社やめたら?」

「大丈夫、やめてもなんとかなるよ」

そう言ってくれました。 

 

ですが、私にとっては初めての会社。初めての社会人。

 

「自分が打たれ弱いだけではないか」

「自分が仕事をできないだけではないか」

 

そう思っていました。そして、やめずに踏みとどまろうとしました。

ですがそんな日々を送る中で、私は気付かぬうちに精神的に少しずつおかしくなっていました。

 

珍しく休みだった(もしくは病気だと言って休んだかも知れません)ある日、私は病院に行きました。

 

「こんにちは」

 

受付の女性にそう話しかけられたのがなぜかとても怖く感じ、瞬間、涙が溢れてきました。

 

これはマズい。

 

自分ではっきり自覚した出来事でした。

そして、2010年5月下旬、会社を退職する事を決意。

 

大学卒業1か月後、私は無職になりました。

 

(つづく)

【チビアフ第4話】日本の素晴らしさを知る--人生初海外はアメリカ留学

チビアフ

野宿同好会への入会をきっかけに、旅行に目覚めた私。
寝袋を担いで国内各地を訪れました。
40都道府県以上を訪れる中で、日本の素晴らしさに気付き、日本をどんどん好きになっていきました。

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野宿の様子。

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【チビアフ第3話】校舎の中心で美女が寝てる--衝撃の出会いで野宿に目覚めた話

チビアフ

200〇年4月。私は法政大学に入学しました。

校門から校舎へ向かう道の両脇には、先輩達がサークルへの新入生勧誘のために並んでビラを配っていました。

 

テニス、馬術、フットサル、落語、お笑い…

気付けば手の上はビラでいっぱいです。

 

「色んなサークルがあるんだな。」

 

そう思いながら校門をくぐり中に入った瞬間、なんと衝撃の光景が!!

両脇に列をなしてビラ配りをする人達の先にはなんと!

 

 

一人キャンパスのど真ん中で寝袋にくるまって寝ている女性の姿が。

 

 

 

「なんだあれはっ!?」

 

 

 

頭にガツーンと(死語?)ショックを受け、思わずかけよる私を気にも留めない寝袋女性。よく見るとエキゾチックな雰囲気漂う美人でした(それもそのはず、後から知りましたが、その先輩はファッション雑誌のモデルなども行っていました。しかも法大生ではなく他校の美大生)。

 

彼女の後ろにあった机の上には、「野宿同好会」と書かれた冊子が置いてありました。この出会いから、私の人生は劇的に変わる事になりました。

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【野宿同好会とは?】

 

「常識の打破」を理念に掲げて活動する表現系サークル。通称「野宿」。

20年以上の歴史を持つ。

自己の興味関心を企画として表現し毎週一回の会議でプレゼン。

会員の過半数が賛同した企画を採用し、日時と集合場所を決めて実施する。

 

参加の出欠は取らない。会員同士で参加可否を話す事は禁止。

「現地集合・現地解散」のルールが存在し、純粋に企画への興味の有無で参加可否を決定する事になる。

企画実施後の会議で、活動報告を行う。その際、はじめて参加者が明らかになる。

場合によっては一人合宿、また誰も参加しない事もある。

宿泊手段は原則野宿(野宿は手段であり目的ではない。それ故一部例外有)。

  

恒例企画としては、

・年末レース

 (過去の実施例)

  「のべ数万人も走破者がいるアイアンマンレースなんて大した事がない」という事で、すべてをアイアンマンレースの2倍以上の距離で実施する「プラチナマンレース」

  じゃんけんのグリコの遊びを駅単位で歩いて行う「大グリコレース」

  竹馬で40kmほどの道のりをともにして友好を深める「竹馬の友レース」  

・ヒッチハイクレース(24時間で東京から直線距離でどこまで遠くに行けるかを競う)

・樹海合宿(その名の通り。自殺者に遭遇する事もある。)

・海外合宿(海外でも現地集合。アジア中心だが、過去エクアドルでの実施も。)

・人間筆(人間を筆に見立てて、髪の毛に墨汁をつけて文字を書く伝統行事。筆役一人と持ち手三人の計四人で実施。筆役はもれなく首を痛めるという。)

 

などがある。

OB・OGは市議会議員、本の著者、農家、ニート、ライター、公務員ほか、普通の会社員などがいる。

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まず驚いたのが、このサークルの先輩方。

 

・浪人後、大学を複数年留年している人

・シルクロードを自転車で渡った人

・いつも校内で酒を飲んでいる人

・他校の学生なのにいつも法政にいる人

・なんかゲタ履いてる人

・日本語が完璧なので日本人だと思っていたらまだ日本に来て2年ちょっとの韓国人留学生だった人

 

こんな人たちで溢れていました。

 

(ついでに書いておくと、僕の同期・後輩はこんな感じでした。ちなみにこの中に私もいます。笑

 良かったら予想してみてください。

 

・会社を辞めて野宿に入ってきた30代女性

・親が無職ニートで本人は元パチプロの人

・部室を全焼させて中学校(私立)を退学になった人

・オートロック付き賃貸マンションを借りているのに年間100泊以上野宿している人

・IQ70台の人

・童貞

・自転車320km、徒歩120km、冬の琵琶湖横断を続けて行った人

・家に調味料がポン酢しかない人

・学費が払えなくなりそうになり競馬で大穴を当てて学費を払った人

 

 

 

 

などなど…)

 

野宿の机の上(サークルごとに割り振られたスペース)には、常に日本酒の一升瓶が置いてありました。

当時法政大学は、学内での飲酒が許されており、夜な夜な校内で飲み会をする学生も多かったのですが、なんと野宿の人達は昼というか朝から飲んでいたのです。そして校内でよく寝袋に入って昼寝をしていました。

 

大学に入るまで、私は真面目一筋で、学校以外の世界を知らず、無断外泊もした事がなく、小中高と一つの駅周辺で過ごしたため、恥ずかしながら電車の乗り方もよくわかっていませんでした。そんな当時の私の常識からは完全に外れた人で溢れていました。私は、そんな先輩との出会いに大きく刺激を受けました。

 

 

 

「失敗(停滞)って怖くないんだ!」

「ダメ人間でもいいんだ!」

「人生ってこんなに自由に生きていいんだ!」

 

 

 

という事を一気に学びました。私の人生が変わった瞬間でした。

(のちに私は、野宿同好会第二十●代会長を務める事になります。)

 

 

そして迎えた秋。初めての学祭。

 

法政の学祭では、校内の壁に学祭の出し物を宣伝するためのビラを貼ります。そのビラ貼りのために各サークルは徹夜して場所取りをします。

朝、「ビラ貼り開始」の合図があると、福男選びのレースのように皆が一斉に校舎内へ駆け出し、押し合いへし合いしながらビラを貼りまくります。そこかしこでは、やれ服にボンドが付いただの、ぶつかるなだの、俺が先にビラを貼っただのでくだらないケンカが勃発するという、大変民度の低く楽しい行事です。

 

基本的にすべてのサークルは、元のビラを作りそれをコピーしているのですが、野宿は違いました。なんと、1枚1枚、手書きです。しかもその数A3で1,000枚以上。

 

自分で言うのもなんですが、野宿のビラは法政の名物です。新入生歓迎、学祭など、法政では事あるごとにビラ張りが許可されるのですが、そのたびに手書きで1,000枚単位でビラを書くのです。

 

学祭では、野宿は1年の活動をまとめた「機関誌(注1)の発行・販売」、ならびに「活動の写真展示」、「鍋(注2)の販売」、そして人間筆を行います。

 

(注1)活動を写真入りで紹介。数百ページで100円。くだらないコラム多数。

(注2)ウサギ鍋、ダチョウ鍋、シャア専用鍋など。シャア専用鍋では○ンプラを○○せていました。

 

ですが野宿はビラでは基本宣伝はせず、一言ネタを書いていました。たとえば、

 

  

photohito.com

 

 

 

たけやぶやいた

 

 

ガンジージャンプ

 

 

ちび○○○ちゃん(ビラは伏字ではありませんでしたが、ここでは伏せます。笑)

 

 

 

などなど…。思想・宗教・差別・時事・下ネタなどを書いていくのですが、そのまま貼ると大問題になるものが多いので、会全体で1枚1枚検閲を行っていました。みんなギリギリを攻めるためそこで結構ボツになり、また書く枚数が増えるという。ネタを考えるがあまり、30分かかって10枚も進まない人も。結局1週間くらいかけてくだらない事をひたすら考え続けます。何の地獄だという。笑 同時にとても楽しい時間でもありました。

 

 

初めて見た人間筆。

 

前述の通り、野宿では人間筆をやります。

はじめてみた時の事は…と野宿の事をいちいち記していたらいつまでたってもこの第3回が終わらなそうですので、ここでは写真だけ載せます。

 

 

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 引用元:http://tyamauch.exblog.jp/16776754/

写真は後輩です。私もやりました。

 

 

年末レース

 

野宿では例年年の瀬に野宿王を決める「年末レース」が行われています。私が1年生の時のレースは「循環レース」。これは、「山手線の線路の外側を3日半ひたすら歩き続ける」というレースでした。これも色々ドラマがあったのですが、書くと長いので結果だけ。私が優勝しました。6周(240km)+αで計250km位歩きました。この優勝で、ようやく野宿の先輩方に野宿民として認められました。

 

元々「枕が変わると寝れない」体質だった私ですが、この頃からようやく野宿にも慣れ始め、一人で国内を野宿しながら旅するようになりました。

 

 

(つづく)